久しぶりに37℃超えの熱を出しました。熱中症なのか寒暖差のせいなのか分からないけど、自分がなんとなく夏バテだと思っていたものは、思いのほか体にちゃんとダメージを与えていたみたいです。だいたい「夏バテ」という言葉はどうも語感が軽くていけないです。
熱が出ているときって余計なことを考えられないので、ごちゃごちゃした邪念が消えて、むしろ頭の中が整理されるような感覚があります。攻めではなく守り。ゼロをプラスにではなく、マイナスからゼロへの回復。脳の欲求のレベルが下がってるんでしょうね。小学生の頃、おなかを壊している日に「早くいつもの状態に戻りたい、それさえ叶えば俺はもう何も要らない」と心底願っていたときのような感じ。熱出してて唯一良いことはそれです。
ただ、よく考えれば最近の生活のモード自体が圧倒的に「守り」を志向してるので、言うなればつねに発熱してるようなものかもしれないとも思います。ごてごてと要素を足していくのではなく、最低限のサイクルを確立したいというモード。
だから「人と会いたい/語らいたい」とかもあまり思わないし、遠出やイベント事を増やそうとも思わないし……これがまたそのうち「攻め」に転じられたら面白いですよね。どうせそのうちそうなるだろうけど。
あるバンドのファンクラブ用のコンテンツで、敬愛するギタリストが料理をしているムービーを観ました。麻婆豆腐。僕は単純な人間なので、こんなのを観ると「ああ料理ってのも楽しそうだな」と感じます。それこそ、自分のこだわりを語れるくらいになれば。
これまで料理をほぼ一切してこなかった理由は、根源的な部分から語り出すと果てしなく暗いものになってしまうので避けますが、要するに「それ用の環境をちっとも整えられてない」ということが大きいです。だから今後、なにかのきっかけで環境をガラリと変えられるチャンスが来たとしたら、きっと楽しいだろうなとも思います。
単純なのと同じくらい保守的な(政治的意味合いじゃなく)人間でもある自分にとって、なにかを変える時には「楽しそう」より先にしばしば「怖い」や「めんどくさい」が先に来るものですが、それを「楽しそう」に変えてくれる存在というのはやっぱりありがたいものです。
※ちなみに、なんとなく雰囲気が出るので「あるバンド」みたいな書き方しましたが、具体的にはポルノグラフィティの新藤晴一さんの話です、もちろん。
「新しいことをやるのが楽しい」というイノセントな状態は、ひとまずの最終的なゴールです。普段はそれへのブレーキになる有形無形の荷物をきっと抱えすぎてるんでしょう。
熱を出しているときはそういう荷物のことを考える余裕がないので、自然、「水がおいしいな」とか「気にかけてくれる人がいてありがたいな」とか考えられたりします。逆に、SNSで攻撃的なオピニオンを発信するような気はちっとも起きません。
SNSといえば最近ちょうど「もう更新しませんよ」的なことを表明したばかりですが(その背景とかについても重めの別稿が必要なので今は触れませんが)、特にXなんかだと、一見意味のあることを言ってるふうに見せつつ、実際には「退屈を埋め合わせるため」でしかないような発信がとても多いです。このへんは小谷野敦氏の『退屈論』(河出文庫)という本が言っているとおり、人間の行動原理の多くはやっぱり「退屈」なんだなと思わされます。
きたる別稿の内容を一部先取りする形にはなりますが、愛すべき退屈をどう味わい、どう飼い慣らすか?と考えたときに、こうして「ブログ」という形式を使っていることにも自分にとっては意味があります。ひとまず、今後もイノセントに、ゆるゆるやっていけたら。
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