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#001 さやわかのカルチャーお白洲 ノウハウ回「”やりたくないこと”をやる技術」(2023)

WordPressのCocoonというテーマで新しいブログを作った。ずっとやりたかったんだけど、やれてなくて、やっとできた。導入の楽なことで知られるCocoonなので高度なものは何もやってないが、こういう初めての作業は体力気力が要るので、あとのことを気にせずPCをじっくり触れるタイミングを作る必要があったのだ。そんなもんいつでも作れるだろって思うかもしれないが、僕の日常生活の構築できてなさを舐めてもらっては困る。だいたい2月ってすげー暇なはずだったのになんだこれは?とも思ったので、来週、近場への1泊の旅行を無理やり入れた。旅行にさえ行けばあとはすべてがうまくいく気がする。

あいけ名義で文章投稿のために使ってるサービスはいくつかある中、なんで今回新しいブログを作ったのかというと、①気楽に書きたい、②なおかつちゃんと書きちゃんと読んでもらえる感じを出したい、③あとから読み返しやすい、④読者と交流とかしたい、の4つを、(Xは論外とはいえ)今使ってるnoteとかはてなブログ無料版は意外と満たしてくれないなーと思ったから。僕にとって文章を書くことの原体験は中学生のときにやってたアメブロであって、もちろんさすがにあの時と同じことができるとは言わずとも、「普通に楽しくやる」というのは大事なこと。そのための環境整備の一環だ。なのでコメントとかも気軽にしてもらえると嬉しい。

さて昨日と今日は、作業中や移動中、有料配信プラットフォーム・シラスのチャンネル「さやわかのカルチャーお白洲」のアーカイブを聴いていた。

自分の余裕のなさ+チャンネルの更新頻度の少なさもあってしばらく観れていなかったのだけど、視聴者有志の方々がカルチャーお白洲紹介冊子を作るとのことで、そのアンケートに答えるために色々観返したく、久々に月額購読をした。そして、なんて良いことをやってくれているチャンネルなんだ、と改めてしみじみ感じ入ってしまった。今週一番じっくり観返したのは2023年の以下の回。

理論編(ノウハウ #46)「考え方」㉑~"やりたくないこと"をやる技術 さやわかのカルチャーお白洲 | シラス
なんだか、やたらいろんな仕事をヒタヒタとこなしている私、さやわかです。しかし時には仕事をやりたくないタイミングややりたくない作業なども発生します。そんなときに、どうすれば人は「やりたくないこと」をやることができるのか?そんなものに技術がある...

批評家のさやわか氏が運営しているわけなので、ざっくり言えばカルチャーお白洲がいわゆる「カルチャー批評」系のチャンネルであるのは間違いない。しかしそれに留まらない射程の広さを持っていることを、たとえばこの「ノウハウ回」という一連のシリーズの存在が示している。しかも、こういうカルチャーとか思想系の話において「射程の広さ」というのはしばしばその「広さ」自体が自己目的化してしまうようなものなのだが(多分野知ってれば一分野しか知らない奴にマウント取れる的な、そういうさもしい怖い話)、カルチャーお白洲はそれをしない。ここで「批評」は本当に、人間の怠惰な本性をコントロールし、メタ認知をもって人生を運営していくためのTipsに通じているのだ。

どう通じているかというと、たとえばひとつは「未知のものを既知にする」態度である。目的の優先順位をつけ、やるべき作業の段取りをロジカルに構造化・細分化し、1時間でどれだけやれたかを検証し、そのフィードバックをもとに計画を再調整し……というプロセスは、「コンテンツの作りを構造化・細分化して既存のものと比較する」批評の手つきにかなり近い。要するにそれをやることで、未知の作業を「未知だ!」と過剰に怖れずに済み、また未知のコンテンツを「未知だ!」と過剰に喜ばずに済むわけである。

だから、何かが上手くいっている人のことを「あの人は才能があるからね~」と神秘化だけして話を終わらせるような態度を、カルチャーお白洲は戒める。そうじゃない、創作などを神秘化するな、もっと頭と技術を使おう、課題と段取りをちゃんと考えてちゃんと勝っていこう、と提案する。よって一番ダメなのは「すぐに才能とか運命とかガチャとか言う人」である。

……と、今書きながら改めて自覚したが、「すぐに才能とか運命とかガチャとか言う人」ってこれはもう限りなく僕のことだ。この記事の一段落目を読み返してみてほしい。「旅行にさえ行けばあとはすべてがうまくいく気がする」っておまえそんなわけないだろ。そんなワンチャン狙いロマン主義の態度だから未だに生活と仕事の正常なサイクルを作れてないんじゃないだろうか。

というわけで、カルチャーお白洲的なあらゆる手練手管をもって、人生をちゃんとやっていくためにもっと頭を使おうと思ったのだった。旅行にすべてを託すのではなく、「旅行に行ってクリアになったあとの頭で何をするか」という点まで考えよう。思うに、未知のものに「未知だ!」と喜ぶタイプの即時的な快楽物質の出方と、それを既知のものにしてコントロールしていく反復の快楽というのはおそらく違うはずで、もちろん後者のほうが良さそうなわけだから、それを究める意味でも感謝の正拳突きみたいなルーティン的動きってきっと本当に意味があるんだろうな、とか思った。

また、批評とはなにか?ということについて、僕は先日のsimesabaさんとの配信ですでに答えを出した。カルチャーお白洲に影響を受けているから当たり前なのだが、狭い界隈での技の出し合いみたいなことを超えて、やっぱり究極的には批評は人がご機嫌に生きるための何かになるべきだと思うし、それを批評と名指すかどうかだって本当はどうでもいいのである。だから新たに始めたばかりのこのブログで、僕が「批評」についてメタ的に云々するのは今日が最初で最後になるだろう。

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