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ソフトクリーム

最近ソフトクリームを全然食べていないことに気づきました。そもそもソフトクリームって、食べられるタイミングが相当限られませんか? まず観光地とかに行かないと基本売っていない。行ったとしても、それが単独行動だった場合はなんとなく気恥ずかしく、ソフトクリームという選択肢には辿り着かないことが多い。

つまり僕のなかでは「複数人で観光地にいて、浮かれているときにだけ食べるもの」という、浮かれ気分の象徴のような食べ物なんです、ソフトクリーム。その尊さたるや、情報と娯楽と作業に溺れるコンクリートジャングルの中にあって燦然と煌めく光源のようです。無条件にときめくことのできる対象が日々減っていく中、人類の発明であるところの「物語」で脳を無理やり操作しないともはや自分の身体は駆動しないのかもしれないとさえ思っていましたが、ソフトクリームだったら物語抜きで無条件に高揚できる。ありがたい存在です。

念のため断っておくと、コンビニのやつは違います。コンビニの冷凍庫に入っているやつも確かに美味しいが、あれが「ソフトクリーム」かというとそんなことはない。

……すると人は言うでしょう、「ミニストップならソフトクリームが売っている。ミニストップに行けばいいじゃないか」と。確かに、ミニストップってなかなか見かけないよねと言いつつ、じつは家から10分も歩かないところに店舗があるにはあります。行ける条件自体は整っています。

しかし。「観光地にしか売ってない」という問題はクリアしたとしても、「複数人」と「浮かれ気分」のほうが解決されていません。家の周辺のコンビニに行くときの浮かれ気分なんてたかが知れてるし、だいたい、ソフトクリーム買ったとてどこで食べるんだと。観光地だったらベンチに座ったり、あるいは別に立ち食いだって構わないんだけど、たったひとりで、しかもまさかコンビニの前や駐車場のとこで立って食べろって?いやいやいや……。

と思って調べたところ、近所のミニストップが、店内の窓際に椅子とテーブルがあるタイプの店舗みたいでした。長らく行ってなくて忘れていた。じゃあソフトクリーム食べてもいいかもしれないです。また報告します。ちなみに、今日はこれを書いている途中でそうめんを食べて満足してしまったので別にソフトクリームには行きません。そういうことってあるよね。

おまけ①:
血縁的に埼玉とは縁があるため、甲子園予選の埼玉決勝を観ました。球場の外が芝生になってるのが良かった。あとホームランが出たとき、芝生にいたおじさん?かお兄さんか分からんが、ビーサン(裸足かもしれない)に短パンみたいな風体でホームランボールをキャッチしていたのが良かった。俺の思う埼玉、という感じがしました。応援してた学校は負けてしまったが。

おまけ②:
参院選の話。去年の都知事選のとき、僕のXのタイムラインは70~80%が安野貴博さんに投票してますくらいのエクストリームフィルターバブル状態になってて面白かったが、今回はXはほぼ見てないけど、多分どこもかしこも似た状態ではあるんでしょう。だから参政党が伸びてるとかの結果自体に特に驚きはなく、いつかそうなるとは思ってました。

ただ、個別の主張なんかへの疑問は僕だってあるにせよ、特定の党の支持者を「排外主義」だとかで括る感性はよく分からない。前から思ってたけど、「主義」という言葉がまず良くない気がします。団体はともかく、ひとりひとりの人間ってそんなに明確に「○○主義者」じゃないよね。そのカテゴライズに乗るよりは、いろんな党の一般支持者が集ったゲンロンのYouTube選挙番組とかを観るほうがいいと思いました。

おまけ③:
西田亮介さんの新刊『エモさと報道』が出たからではないですが、久しぶりに新聞をじっくり読みました。当たり前ですが、自分じゃ普段は調べもしないようなことが載っていて、やはりそれはそれで良いものだと思いました。過剰な練習をさせないために柔道の小学生全国大会って廃止されてるんだなとか、花火大会って自治体の予算めっちゃ使われてるんだなとか。

あとは読者投稿欄を見て、短歌より俳句が好みだと思った。短歌はどうしても文字が多くて、説明的に感じることが多いです。そんなに説明してくれなくていいのにと。作者の考えや意図が伝わってきちゃうのが、自分にはなにかの圧に感じるんでしょう。

おまけ④:
ネットニュースで、いけちゃんと箕輪厚介さんの報道を見ました。幻想と現実の問題は難しいと思いました。そしてこの報道について快調に熱弁する宇野常寛さんの一人語り動画が爆誕していて面白かったです。

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