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「聖霊王の輝きが世界に満ちる時、栄光の階段が君の目の前に現れる!」

暑いですね。昔(俺が昔というときの昔はゼロ年代~10年代前半である)はテレビつけてても、暑さ寒さの話題と共に「地球温暖化」だとか「エコ」だとか毎日のように聞いたものだけど、最近のニュースって「埼玉のどこどこが暑いです!!群馬のどこどこも暑いです!!めっちゃやばいです!!クーラーつけろ!!以上」みたいなことをひたすら言ってますよね。夜のニュースだとまじでそれだけで終わるんで、それだったら朝のTHE TIMEとかZIPとかのほうが暑さ対策グッズとか教えてくれるからずいぶん有益です。もちろん弊耳は愚かなのであらゆる情報が右から左に突き抜け、全然その「益」を活かせてないが。

まあテレビだと、温暖化の話とかは繰り返しすぎて人々が飽きたんでしょう。一回やり尽くしちゃうと目新しいことがないからね。先達によって大抵の重要な作業が終わってしまったとも言われる文学研究みたいなもんですね。それにしても、エコバッグやらクールビズやらが流行語になったような時代に教育を受けていたゼロ年代キッズとしては、「暑い」だけで終わるなや!とは思います。こちとら作文だとか総合の時間だとかで、二言目には「環境を大切にしようと思った」みたいなこと書いてましたから。「キッズISOプログラム」ってまだあるのか?

さて。デュエマの話です。

今度友人とのデュエパーティー試合で、新たに組んだ、環境的にも最新のエンジェルコマンドデッキを初めて使います。パートナーカード(大体いつでも場に出せるように置いとく、デュエパの特殊ルールのやつ)はもちろん「王導聖霊アルファディオス」です。でも友人のうち1人とパートナーカードかぶってるらしいよ。お前かぶせんなよ、前もって俺がアルファディオス使うって言ってたじゃん??いや仕方ないんだ、新弾の目玉カードなんだから。仕方ない仕方ない。

ただ、デッキ内容かぶってる上にもし一回も勝てなかったりしたらすごい最悪だな~~帰りの電車で鬱モードに入るかもしれない、もしかしてデュエマ引退も視野に???とか思ったんだけど、いやそもそも「聖霊王を使う」ってことは俺にとってバトルの勝ち負けとは別に関係ない話なんだ、と思ったので、そういうことを書きます。読者の99%には関係のない話だが。いいだろ別にブログなんだから俺だけに関係してれば。という精神です。

聖霊王といえば光文明ですが、デュエマにおける光文明のコンセプトとは「秩序を守る者たち」です(ピクシブ百科事典が簡潔にまとめてる通り)。プレイヤーの身を守るシールドを増やしたり、相手の呪文やクリーチャー使用に制限をかけたりというカード上の能力にもそれは表れています。特に初期は「予言者」や「宣教師」が冠についたクリーチャーが多く、そのキリスト教的なモチーフが一神教的な秩序を表現していて、格好良くもどこか恐ろしい文明です。あとデザインはめっちゃガンダムとかエヴァっぽい。

さらにどうやらその秩序というのは「光文明にとっての」秩序でしかない、ということもやがて明らかになってきます。光文明のフレーバーテキスト(カードの下の方に小さく載ってる、世界観とかを表現してる文章)には「悪を滅ぼす」みたいな表現がやたら多いんですが、なにか具体的に倒すべき対象がいるというよりは、その「悪」はガチで「我々以外」を指してる可能性が高いです。彼らにとって他の文明の奴ら(特に頭の悪い闇文明・火文明)というのは愚かな存在・悪しき存在であって、無条件に滅ぼすべき存在なんです。

一例として、僕が小3くらいのとき、人生で正真正銘最初に出会った切り札である「聖霊王エルフェウス」のフレーバーテキストはこうです。

「聖霊の輝きに頭を下げ、すがりつく以外に何が出来る。」

相手のクリーチャーの行動を封じるエルフェウスの能力に相応しい、すばらしいフレーバーテキストなんですが、いかんせん怖いだろ普通に。伝説の「聖霊王アルカディアス」に続く2体目の聖霊王のフレーバーテキストがこれなんだから、「物騒な奴ら感」を隠す気がないです。まあ基本的にデュエマ世界って大体つねに戦争してる設定なわけだしこの2005年版イラストのエルフェウスの場合はスターターデッキ商品として対になる火文明のメタルカオス・ドラゴンと戦ってる状況を双方のイラストで表しているので物騒なのは仕方ないんですけどね。こういう早口オタク説明無限にできるな。

しかも光文明最強と謳われる「聖霊王アルファディオス」は、光文明の大規模な化学実験によって生まれているという設定もあります。当時のブースターパックの商品名は「転生編」で、他のいろんな伝説級クリーチャーたちが転生体として再登場してた中、そこに紛れ込んでたくせに、こいつはアルカディアスの転生体と思わせて無関係なのかよ。まずデュエマ世界における「化学実験」ってなんなんだよ。聖霊王って化学で生み出せるの?まず光文明って聖霊王が支配してるわけじゃないの?じゃあ聖霊王生み出してるのは誰なの?と無限のコメントができてしまう。小学生当時の俺でさえ「コワ~」と思った記憶があります。

と、ここまでいろいろ書き連ねてきましたが、じゃあなんで光文明が好きなんですか?という話としては、かっこいいからに決まってるじゃないか。聖霊王エルフェウスが人生最初の切り札なだけあって、光文明使ってるときが一番「デュエマやってる」という気持ちにはなれるんです。

さっきから何度か名前が出てる、初代聖霊王にして伝説のクリーチャーこと「聖霊王アルカディアス」(2007年のスーパーデッキゼロ版)のフレーバーテキストを見てほしい。

アルカディアスの輝きが世界に満ちる時、全ての邪悪なる刃はその形を失い、栄光の階段が君の目の前に現れる!」

やばい。少年ジャンプのマンガでもここまで直球な台詞言ってくれないですよ。それを臆面もなく、躊躇いもなく、光文明の聖霊王たちは言うんです。「俺たちが絶対に正しい」と。この眩い光についてこい、と。

なにも僕も、彼らの言うことや態度を無批判に信じ込んでいるわけではないんです。なぜなら光文明が、恐ろしく排他的で、何を考えているか分からない、もしかしたら闇文明そのものよりもずっとずっと闇が深いかもしれない連中であることなんてよく知っていますから。むしろ決して信じてはいけない。光文明の織り成す「完全な秩序」の中に、自分が入れてもらえるとどうして思える?って話です。

ただ、当たり前ですがこれはカードゲームです。カードを使っているその瞬間においてのみ、僕の身体は光文明に同一化することができるんです。勝負に没入しているときだけは、聖霊王の盾となり刃となり、悪を殲滅するために動くことができる。ひとつのフィクションを楽しむように。背徳的な文学作品を味わうように。

そして作品を味わい終えたあとは、そこで得たフィルターの残り香を感じながらも、それがあくまでも「フィルター」でしかないことを知ってまた生きていく。フィクションは、現実とは別だから。僕の背後にはスタンドのように聖霊王がいるかもしれないが、それは別に他の人には見えなくていいし、その良し悪しを他の人と語り合う必要だってないんです。

なんだか最後は、僕が世の中に思ってる内容が混じってきてしまいましたが。でもデュエマで聖霊王を使うとき、僕はいつもそういうことを考えます。ドラゴンもアビスも悪魔神もフェニックスも好きですけど、そんな感覚になるのは聖霊王のときだけです。先に「キリスト教的なモチーフ」と言いましたが、それだけじゃなくここにはギリシア・ローマ神話やら現代SFやらの文脈が幾重にも折り重なっていて、その豊穣さに惹かれているところもあるんでしょう。

それで結論としては、バトルの勝ち負けとかじゃなく、「聖霊王を使う」ってことは背徳的なフィクションの中に身を投じることなんだ、って話なんですが……こんなこと書いたら逆に負けられなくなっちゃってない?とは思いました。同世代で上下関係もない友人に言うのもあれだけど、接待プレイでいいから一勝はさせてくれない?って事前に根回ししとこうか?

おまけ

アルファリオンは、特に思い入れはないがデザインめちゃくちゃかっこいい
こいつはアルカディアスとエルフェウスの合体のくせに、デザインにエルフェウス要素がなく、エルフェウス好きとしては「なんなんだよ」とかなり本気で思っている

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