一、職場が港区なのだが、そして今日の昼はなんか体調が微妙だったのだが、思い返せば港区にいるあいだ自分はなんとなく体調が万全ではないような気がする。であればぜひとも「港区の結界から出る」という身体経験が必要だと思い、19時台に退勤し、歩いて渋谷のほうへ向かった。すると本当に、渋谷区へ出る境目、青山学院大学のあたりに来た瞬間に空気が澄み、良い香りがした。渋谷ってあんまり好きじゃない街だと思っていたのだが、好きとか嫌いとかそういう問題じゃなく、わが身体は渋谷結界に最早こよなく適合しているらしい。
二、10代のやつらの有り余るエネルギーを封じ込めておくために部活動というシステムがあるのだとなにかで見たが、労働も同じだと思った。
三、本当に脈絡なく、本棚からなんとなく取り出したさやわか『世界を物語として生きるために』(2021)の、論考「ポケットの中の(はてしない)図鑑」を読んだ。いろいろ線が引いてある。2021年当時の自分が引いたものだ。しかしいまの俺にとって、そして俺から見える世界にとって、重要なのはそれらの傍線の箇所ではなかった。本というメディアは心底すごい。その時々によって、響いてくる味が変わる。ちなみにいま最も重要だと思ったのは以下の2ヶ所である。なんでかというと、これはゲームの話をしているように見えて、身体の話であり組織労働の話であり世界の話でもあるからだ。
しかし、それでもたしかにこれはゲーム内において、図鑑の比喩で語られるべきものではある。なぜなら我々が真に図鑑を編纂するとしたら、それは常に、過程であり仮定でありながらも、確定であるものとしての全体像を夢想しながら作業するに違いないからだ。(前掲書 p,124)
繰り返すがそれには、中沢新一が述べたような、カオスを秩序に変えていくような知的な分類整理の試みはない。むしろサービスが続く限り項目数を増やし続けて秩序化から逃れていく、また二次創作に利用できる余白を見つけ出そうとする、世界を書き換えていくだけのオープンエンドな構造だ。(前掲書 p,127)
四、最近シラスをまたよく観返しているからかゲンロン関係のコンテンツが多いのだが、『ゲンロン12』(2021)所収のウティット・ヘーマムーン(訳=福冨渉)「所有を夢みて」は名文である。これも読み返したのは三度目くらい。個の問題は全体の問題の帰結であって、でも結局は自分個人にだけのしかかってくる。それでも人はつねになにかを暫定的に「修復」しながら生きている。こんな文章を書けたら、自分なら「もう一生他の文章なんて書かなくてもいいや」と思ってしまいそうだ。ふとジャンルを見たら「随想」とあった。随想の定義はよくわからないが、最近あまり見かけない言葉なので、いいと思った。まあ「ブログ」はもっと見かけないのだけど。
五、なるほど19時台とかに退勤できると、散歩もできるし本も読めるしブログも書けるんだ、と思った。すごい。


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